週間文春 平成20年6月26日号 40〜41頁

お上がごちゃごちゃうるさいぞ!
メタボ健診だの、後部シートベルトだの、傘さし自転車禁止だの・・         
ジャーナリスト 徳岡孝夫

毎日新聞夕刊(6月13日付)の社会面、最下段の「交通事故死者数」を見ると、今年の日本全国の事故死者総数は二〇七八人である。まもなく一年の半分だから、昔ならこの数字は五千人を超えていた。かつて日本は、毎年一万人以上を道路上で失っていた。いまや日本の道路は格段に安全になった。

なぜか?
飲酒蓮転を厳しく取り締まるようになったからである。博多の海に落ちて死んだ三児の記憶は、いまも日本人の心に刺さったままである。ヘベレケ状態で深夜のバンコク市内を某紙記者とカー・チェイスした私も老い、半盲になって運転できなくなった。

このたび、お上は道路交通法を改正して七十五歳以上に「もみじマーク」を義務付け、また後部座席の者もシートベルトを締めよと指図した。事故死者が減っているのになぜと訊くと、お前らの命のためだと仰る。反対しにくい。
定員五人の車にトランクにまで八人が乗ってぶっとばし、電柱に当たって重軽傷というガキもいるから、お上の心配も根拠がないわけではない。だが、どのみち事故死者はゼロにならないのである。

新聞などメディアも、生命尊重が至上命題である。
命あっての物種。
一分一秒でも長生きが美徳。
何かヤバイことが起きると、校長は全校児童・生徒を集め、「命の尊さ」を説教する。

警察が後部シートべルト着用を決めた途端、全新聞は広報紙になった。
後部座席の非着用者の事故死亡率は着用者の約四倍
前席の乗員が(後ろの人に当たって)重傷を負う確率は約五十倍」などと、警察の受け売りを書いている。
その統計は、いつからいつまで、どこで調べた何千件の分析に基づくものか」と、問い質す記者はいなかったのか?

そもそもお上が、ホンマに国民のことを心配してくれると思ってるのか。
タクシー運転手に奢られたビールでオツマミをつまみながら帰る品性下劣なヤツらを、あんたら信じるのか。

なるほど警察庁は「走る居酒屋」をやっていなかった。
だが警察庁の役人とて、全員が血眼で犯罪人を追っかけているわけではない。彼らは他の役所へ出向し、そこで財務省と同じことをやるのだ。
気を許すな。

何年か前に全国の交通信号が新しくなったことがある。
輝度が増して見易くなり、進行式または進行式を加味したから、渋滞はやや減った。
信号機業者と癒着した警部補クラスが、何か後ろ暗いことをして処分されたのを覚えている。
シートベルトでも、きっと何かある。
観光バスのベルトはほとんど腰だけを固定する方式だが、あれを三点固定式に取り替えるにはシートベルトの大増産が必要だろう。何もないのか?

五人乗り乗用車の後部ベルトは、三人分しかない。
もしKONISHIKIが「ボクのファンね」と言って子供四人とタクシーに乗ってきたら、運転手はどうするのか?
十二歳未満の子は三分の二人と勘定されるから定員内だが、シートベルトが足りないじゃないか。

御堂筋の優勝パレードはどうする

今年の阪神タイガースは不思議にも「連敗」を知らない。二位中日に七・五ゲーム差、御堂筋パレードは決まったも同然だ。
スター選手はオープンカーの後部座席の背の上に座る。金本、赤星、藤川……みなシートベルトを無視する。
そこへ交通巡査が走ってきて「あんたら、ベルトしなはれ」とでもヌカしたら、大群衆に袋叩きにされるぞ。
後部ベルト着用は、なるほど命のためだ。だがそれは「沈香も焚かず庇もひらず」に生きる役人の頭から出た考えだ。

お上は、後部シートベルトだけでは満足しないらしい。
人命尊重を錦の御旗に掲げて民事に命令しようとする。次なる手は、四十〜七十四歳を対象とするメタボ症候群該当者(および予備軍)への「特定保健指導」である。
これにも脳卒中や心臓病などを予防するから「医療費の伸びを二十五年度までに二兆円節約する」という、誰が計算したか知らない数字の裏付けがある。
お前らの生活習慣を正してやるのだと言われれば、無知蒙昧な民は舌が疎んで反対できない。官はそこに乗じてグイグイ押してくる。

だが、ちょっと考えてくれ。
戦後日本を復興した世代は飢餓の中から立ち上がり、手に入った物を腹いっぱいになるまで食い、休み時間に煙草をプカプカふかし、そうしながら国家再興の大事業を成しとげ、同時に日本を世界一の長寿国にしたのだ。
七十四歳までは健康検査だと?
ここでも七十五歳以上の後期高齢者は切り捨てか?
与党も野党も反対しないのか?
腹囲85センチ(男)、同90センチ(女)以上が対象だと?
近頃の若いモンは、貫禄ということを知らんのか。
でっぷり太った上司の貫禄は、威厳を伴っている。発する言葉にも重みがある。

シートベルト着用とは別に、警察庁は自転車の乗り方の教則」を作った。
傘をさしたりケータイを使いながらの片手乗りはダメなどと書いてある。
十三歳未満には、自転車に乗るときヘルメット着用が親の「努力義務」だそうである。ただし罰則はない。

私が支局で駆け出しの頃、クルマは賛沢だった。各社とも自転車を使った。
某社に新人が来た。東大出である。自転車に乗れない。
東大で習わなかったのか」と聞くと、「教えてくれなかった」と答える。
警察署裏の原っぱで私が荷台をつかみ「ええか。いくぞ」と押す。
彼はバタンと倒れる。
水泳と同じで、泳げる者にはカナヅチのような沈み方が判らない。
私の教育の甲斐あって、東大出は自転車に乗れるようになった。
ついには両手放して乗れるまでに上達した。そして某日、どこかの大工が道端に建築用の砂を積んでいたのに乗り上げた。両手でメモ帳を繰りながら走っていた彼の全身は、みごとにハンドルを飛び越し、顔から着地した。
全顔面擦過傷。死んで十年になる男の話である。

役人は、いつか必ず新幹線の全乗客にシートベルトとヘルメットの着用を義務付けようとするだろう。安全のためだ。
新幹線は、乗用車の少なくとも三倍の速度で走っている。
しかも四分か五分の間隔で、前方と後方に新幹線が走っている。予言はしたくないが、乗り物はいつか必ず事故をやる。だがJRは、一丸となって反対するだろう。警察と大激突。
観物だ。

民の一挙手一投足に口出ししようとするお上の行為は、煙草において極に達した感がある。
民に煙草を喫わせないよう、遠からず一箱を千円にするという。私の住む横浜市では、市役所が「ハマルール」というのを作って、市役所の近所などでの路上喫煙とポイ捨てを監視するようになった。
また市民税が上がる。

書斎で(書斎の中だけで)煙突のように朝から晩までパイプをふかして過す私は、医者に訴えた。
チャーチルは葉巻を放しませんでした。英国をヒトラーのドイツから守りました。九十まで生きました。
マッカーサーは厚木で飛行機から降りるときも、パイプをくわえていました。マッカーサーは長生きし、偉大な仕事をしました。毛沢東は紙巻きのチェーンスモーカーでした。世界最大の国を建国しました。長生きしました。煙草のどこが悪いんですか?」

医者は軽蔑の目で私を見て、答えた。
「サンプル数が少ない」